6月28日主日礼拝


メッセージ(動画)



メッセージ(テキスト)


教会でよく使われる言葉に「万人祭司」があります。第一義的には、牧師も信徒も神の前には平等で、上下の区別はないということを意味しています。ですから牧師が信徒に比べてより清いわけでもなく、ただ教会からの委託のもとに教会形成のためにリーダーシップを発揮する存在として神からの召しを受けて立てられているのです。でも、ここにはもう一つ忘れてはならない大事な意味があります。それは、私たちは相互に牧会し合う存在だということです。つまり、キリスト信徒は皆お互いに、神さまの救いを語りうる存在であり、神を知らない人を神さまへの執り成し導くことができるし、その務めを誰もが主から期待されているということです。

伝道とは、何かを企画し、そこに人を集めることではありません。具体的な生活の戦いの中にある一人の人に、真の慰めを語り、これを励まし、立たしめることです。テサロニケ教会も私たちシオンの丘教会も、何のために立っているかと言ったら、キリストが私のためだけでなく、すべての人のために死なれたからにほかなりません。教会で、互いのことを兄弟姉妹と呼ぶのは、楽しくて気が合う者が集まっているからではありません。主がこの人のために死んでくださり、この人と共に生きてくださることを信じるからです。主が目の前にいるこの人のためにそうしてくださるから、私たちも互いに慰め合い、励まし合うのです。教会は自分一人が利益を受けるところではありません。最初は、静まりたい、平安を得たい、自分を取り戻したい等々、自分のことが中心であったとしても、キリストを知り、キリストと共に生きる中で、自分がそこにいる事で他の人が慰められるために私はそこに呼ばれたのだと気づかされていくのです。

もし教会が慰めの共同体となりえていないなら、主が再び来られた時私たちは主のみ前で申し開きできません。自分の部屋だけは片付いて問題ないとしても、主にお会いする準備ができているとは言えないのです。主の再臨がいつなのかと、教会の人々は気にしていた。というより、本当にそんな日が来るのかという疑念が教会の中で大きくなっていっていたわけですが、パウロはその日がいつなのかを問う前に、私たちのありようを見直すことを教会の人々に求めているのです。どんなに人数が増えて、立派な教会堂があったとしても、お互いに対するいたわりと配慮が欠けていれば、それは主の教会たりえていないのですから再臨の議論をどんなに積み重ねても意味がないとパウロは訴えているのです。

しかし、パウロは決して再臨を意味のないことだと言っているわけではありません。ほかならぬ彼自身が、それを誰より待ち望んでいるからです。彼はイエスを主と受け入れてから、幾多の試練、苦難、危機に直面してきました。それらはいずれも、同胞の中の恐れや敵意を発端としたものですが、彼はそれを逃げずに受け止めてきたわけです。しかし罪に問われたり、罰せられたり、ましてや鞭うたれたりするものではなかったのに、イエスと同じようにその身に受けていったのです。それは彼が終わりの時に一人一人のしたことがすべて明らかにされて裁きを受けると信じていたからでした。すべてのことに決着を見る時が訪れるのです。ですから、彼はどちらか選んでよいと言われたら、サッサと神のもとへ行きたいと切に願っていたのです(フィリピ1:23)。しかし、彼はそのときをあれこれ詮索することはせず、自分が委ねられた務めに専心することに集中していたと言えるでしょう。私たちも、「すべてのことに決着がつけられる時が来る」ことをしっかりと心にとめつつ、しかし、命ある間は『励まし合い、お互いの向上に心がけ』(5:11)ることに全身全霊をかけて取り組んでまいりましょう。


6月21日主日礼拝


メッセージ(動画)



メッセージ(テキスト)


「聖書は神さまから私たちへのラブレターである。」そう聞いたことのある人いらっしゃいますか。私も信仰に入ったばかりの頃よく見聞きしました。信仰入門クラスでも耳にしましたし、初心者向けの信仰入門書などにも書かれていました。でも、今聞いてみると、良く知らない相手からのラブレターって、ちょっとキモイし、遠慮したいって感じるかもしれません。

 このことを深く考えたことはなく、そういわれてきたんだからそうなのかなという感じで、私も説教や勉強会でも語ってきました。しかし、今回のテサロニケの信徒への手紙一を読んでいて、なるほど神さまからのラブレターという言葉は伊達じゃなかったと思わされました。


 一読して目に付くのはパウロの異常ともいえるテサロニケ教会への思いです。
「あなたがたの顔が見たいと切に望みました。」(2:17)「そこで、もはや我慢できず」(3:1)「わたしも、もはやじっとしていられなくなって」(3:5)あのパウロ大先生がテサロニケの人々のことが気になっておろおろ歩き回っている様子が目に見えるようです。その心配はテサロニケの人々が信仰を持ってまだ日が浅いということからだけ来るわけではありません。「誘惑する者があなたがたを惑わし、私たちの労苦が無駄になってしまうのではないか」とパウロは心配していたのです。パウロは3章3節で「私たちが苦難を受けるように定められている」とはっきり断言しています。それはテサロニケの人々だけのことでしょうか。いいえ、イエスさまも預言者がどんな末路をたどるのか知り抜いておられましたし、弟子たちにも「私があなた方を遣わすのは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ」おっしゃっています。(マタイ10:16)

 でもパウロって前からそんな人物だったのでしょうか。皆さんもご存知の通り、かつてはキリスト者を根絶やしにするために、草の根分けてでも探し出して裁判にかけるのをじぶんの使命と疑わない者でした。ですからそのことに関して一切の容赦はなかったのです。そこには神の掟に従っているかどうかをはっきりさせ、律法に反している者に対して容赦ない姿が垣間見えます。神はご自身の律法を守っている者だけを愛する神だと信じていたからです。しかし、イエスと出会ってから、神はむしろ律法を守れず罪人と言われている者と共におられ、その者たちを愛されていることに気づいたのです。それまでは、罪人は汚れたもの者、脱落者、神に敵対する者でしかありませんでした。しかし、神が愛しておられるものに敵対している事は、神に敵対している事と同じであり、そうしている自分こそまさに罪人であることに気づかされたのです。以来彼は弱くなりました。体のことではありません。彼は人の上に立つことをやめ、以前自分が見下していた者と同じ所に、いやその下に立つ者とされたのでした。彼は今や何の権力もなく、人を動かすこともできません。ただおろおろし、心配することしかできないのです。しかし、彼は知っていました。神の力は弱いところにこそ現れるということを。

 彼は信じることしかできなくされていましたが、以前の彼なら考えもしなかった待つということにおいて、以前とは比べようもない喜びを体験したのでした。今パウロがいるコリントからだとテサロニケまでおよそ500キロの距離です。現在なら何ということもなく1日で往復可能な距離ですが、この時代ではひょっとしたら何か月もかかるかもしれない旅だったのです。「テモテは今どの辺だろうか。テサロニケの人々は以前と同じようにテモテを迎えてくれるだろうか。」大丈夫という思いと、その反対だったらどうしようという恐れが心の中をぐるぐると巡っていたのでしょう。そして、待ちに待ってもたらされた知らせは、彼を今まで経験したことのない喜びを味わったのです。今日のテキストはそのことを示しているのです。

 私も親になって子供のことで何回となくひやひやさせられました。親としての自分の無力さを味わう中で、私は神さまがご自身の子たちを思う思いも同じなんじゃないかと思い始めました。私たちのことを神さまはきっとハラハラしつつご覧になっているのではないか。それは神さまが私たちを信じておられないからではなく、信じているからこそ、私たちが何を選ぶのかを手も足も口も出さず、ただ待つしかないその切なさを味わいつつ待っておられるのだと思います。だからこそ私たちが神さまを選ぶ決断をした時、神さまもそれを全身で喜んでくださっているということが、このパウロの様子からうかがい知ることができるのです。

 私たちは良く、あなたはあなた、私は私という言い方をします。でも、私たちは周りに何の影響もされないようには造られていません。「あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです。」(3:8)
とパウロは言っていますが、たとえ一人であっても信仰から落ちてしまうものの存在があれば、そのことによって彼は大きな悲しみを味わう者と今やなっているのです。見方を変えて言えばそれは、自分が他者から大きな影響を受けるということです。それは現代ではあまりというより全く好まれることではありません。出来るだけ関わらないというのが今の大勢だと思いますが、それによってこの社会が住みやすく生きやすくなっているかと言えば、おそらくその逆でしよう。知らない者、よそから来た者、言葉が違う者、価値観の違うものを排除する傾向はどんどん強くなっています。

 間違っている者を探し出し罰する者から、愛する者にますますその愛が増し加えられていくように祈る者へとパウロは変えられました。そのことによって自分が弱くされることをパウロは喜んでさえいるようです。なぜなら愛する者が増えるということはその人々に対する心配も併せて抱え込むということですから。そのパウロの姿に神が私たちに向かい合われる姿が透けて見えます。私たちがキリストに結ばれる時、神の中にどれほど大きな喜びが沸き上がるか、それは私たちの想像をはるかに超える大きさかもしれないのです。


6月14日主日礼拝


メッセージ(動画)



メッセージ(テキスト)


「あなたのためなら死んでもいい」なんて言葉を言ってみたいと思った時代もありました。でも、現代ではそう言葉に出したとたん相手が感激して涙を流すなんて図はあまり見かけません。もし自分が言われたとしても、同じようにひくだろうなという気がいたします。パウロは使徒言行録や手紙から判断すると頭脳も明晰なんですが、かなり情熱的な人物だったと想像されます。それは時に「自分の命さえ与えたいと願った」と相手に語り掛けることを辞さないほどでした。それだけではありません。テサロニケの教会の人々に対して、時に「母親」のように、またある時は「父親」のようでもあったというのです。ここまでくるともはや暑苦しささえ感じますが、左様に相手のために出し惜しみせず、自分のすべてを相手に差し出すことをためらわなかったからこそ、テサロニケの人々もパウロを信頼したのだと思います。それは、弱さも含めてのことでした。パウロはフィリピでの挫折や傷を隠そうとせず、そのままテサロニケの人々に関わろうとしたのです。

 私たちは周りに弱みを見せたくない、相手に同情されたりするのは御免だ、とたいていの人は思っているのではないかと思います。でもそれは、結局は自分のことがどう思われるかが気になっているだけで、相手のことは二の次のことが大半なのではないでしょうか。神が喜ばれるのは傷があっても痛い顔をせず、心の内の動揺を決して表には出さず、弱みを見せないような意志の強い人ではなく、ただ神に信頼し、自分の良い面も悪い面も神が用いてくださると信頼していく人ではないかと思います。
 
以前のパウロがどうであったかは皆さんすでによくご存じだと思います。パウロをフィリピで迫害した人々は、そのままかつてのパウロでした。そのことをパウロ自身がよく知り抜いていたのだと思います。私たちは良く、自分の昔のこと、行いや発言、失敗談などを話題にされると、「今は違う!」と激しく反発したくなりませんか。しかし、パウロはその人々を単に憎んで終わりにするわけにはいかなかったのです。彼らを憎み敵対することは簡単ですが、それではかつての自分と何も変わりません。パウロはそれを知り抜いているからこそ、基督に出会ってより、テサロニケの人々のみならず、会う人合う人に自分をよく見せようとか、過去を隠そうとか、自分の弱さを見せないようにするようなことをしなかったのです。彼はありのままの自分を見せ、ありのままの-強がっていても内心いつもびくびくしていて、それでいていつも誰かにかまってほしい自分、自分で自分の弱さが受け入れられず、本当の自分を知られたらみんな自分を軽蔑するに決まっていると恐れている自分―そんな自分をそのままに受け入れていかれるイエスの、父なる神の愛について語ったのです。そして何より、目の前で自分を攻撃してくる相手をただ敵として認識するのではなく、神の愛を必要としている自分と同じ人間であることを語ったのだと思います。

自分たちだけが優秀で、周りはみんな自分たち以下という人間観から、ユダヤ人は初めて解放されたのです。
ロマ書5:7節を開けてください。新約聖書279ページでしようか。彼は何と言ってるかというと、自分は神の一番の見方だと思っていたんだけれど、実は神の敵であった。神のためと思ってやっていたことが、すべて逆だった。だから殺されるされるべきは、本来私であったのに、神は御子を与え、御子はご自身の死―十字架上で辱めを受け殺害される-をもって、神は本来殺されるべき私でなく御子の方を死に渡し、私と神との間に和解をもたらしてくださったのです。

その少し前、5節、6節を見てください。神の愛が注がれた、それによってどうなったか、私たちの弱さが明らかになり、自分がどうしようもない罪人であるということが明らかになったというのです。罪人ですから、当然落第ですよね。しかし、なぜか落第しなかったばかりが、合格のさせていただいたのです。どうしようもない敵、また罪人であるからこそ、神は私をお用いになるという逆説―本来なら死を賜るはずのものが、生かされている-を彼は語ったのです。
パウロがこの手紙の中で、母のように、そして父のようにと語るのは、十字架上にあらわされた神の愛を人の言葉で言い換えているのです。

パウロが信頼されたのは、福音を、理路整然と、理論的に、しかもわかりやすく話し、かつ、そこにパウロの情熱的な愛が付け加えられたからではないのです。そうすることで福音に説得力が生じるみたいに考えているクリスチャンが、それはとても残念なことですけれども、多数いる事は否めない事実だと思います。でもくどいようですが、そうではなく、先ほどロマ書を読んだときに申しましたように、神の愛がパウロの中の愛を引き出し、それを支えているのです。私たちの愛と情熱が福音を福音らしくするのでは決してないのです。パウロがありのままに人々に接したというのはそのことなんです。それは作られたパフォーマンスなどでなく、自由にされた者の軽やかさとでもいうべきものです。
ですから、今日この会堂を出られたら、皆さん、命がけで、時に母のように、時に父のように目の前の人に接してくださいね。目の前にテサロニケの人々が顕れたら、「私たちにもできたのです、あなたたちにできないことはありません」ときっと言われるんじゃないですか。お祈りします。


6月7日主日礼拝


メッセージ(動画)



メッセージ(テキスト)


パウロがマケドニア(ギリシア)に渡ってすぐ伝道したのは、フィリピでありました。しかし、そこで迫害を受けて追われ、このテサロニケにやってきたのでした。この間の経緯はお渡ししてある聖書教育の黙想のための聖書箇所(使徒言行録17章)にありますので、皆さん既にお読みいただいているということで割愛いたします。パウロがこのテサロニケでどれくらいの期間伝道したかはよくわかりません。使徒言行録によりますと、「三回の安息日にわたり」ユダヤ人の会堂で論じたとありますから、少なくとも三週間滞在したということは分かります。しかし、それだけの期間で教会が出来上がったとは思えませんので、少なくとも数か月は滞在したであろうと推察されています。しかしいずれにせよ、このテサロニケにおける伝道も簡単なものではありませんでした。ユダ人たちがパウロの伝道の成功をねたんで暴動を起こし、彼は夜陰に乗じて逃げなければならないほどでありました。パウロはそこからペレア、アテネと経てコリントの街まで南下し、そこにかなり長く滞在し、コリント教会を立ち上げました。このテサロニケ人への手紙一は、ちょうどこのコリント滞在中に書かれたと想像されております。
パウロもそうですが、最初期の弟子たちは、町々にあるユダヤ人の会堂でイエスのことを伝えていったのです。それはそうですよね、イエスはユダヤ人ですし、イエスが伝えていた父なる神は聖書の神なのですから。しかし、それを聞いてイエスを信じるユダヤ人が増えていくことに、ユダヤ教にとどまろうとした者たちは危機感と恐れをいだいて、イエスをキリストだと信じるようになって行ったユダヤ人たちを迫害したわけです。この当時のクリスチャンたちの影響力の強さを、ユダヤ人たちが何と形容したかご存知でしょうか。パウロのことを「疫病のような人間」と表現しています。(使徒24:5)新型コロナウィルスに我々がどれほど恐れおののいたかを考えても、この時のユダヤ人たちの危機感の大きさがわかります。

もう一つだけこの手紙に関して大切なことをお話ししておくと、パウロがテサロニケ伝道をしたのが紀元49年、その次の年紀元50年にこの手紙は書かれたと言われています。もしそうだとすれば、イエスが十字架に掛かられてから、十何年後かに書かれたということになります。そんなわけで新約聖書の中で、一番古い書物が実はこのテサロニケ人への手紙一なのです。この時、テサロニケ教会は本当に出来立てホヤホヤでした。本当に出来て一年かそこらの歴史しかないところで、その伝道の現場からこの文書が生まれたのです。
私たちはこの度生まれて初めての経験をして、2か月間教会に来ようと思っても来れない期間を過ごして、今日ここに集まっているわけですが、本当に初々しい気持ちで集まった時にこの手紙が開かれるなんて神さまのなさることはすごいと思います。

今日は8節に注目したいと思います。「響き渡った」って書いてあります。何が響き渡ったのでしょう。生まれて間もないテサロニケの教会の人々のイエスへの信仰の姿がそのあたり一帯の信者の模範となり、彼らが語るみ言葉がその地方に響き渡ったというのです。すごいことです。一年もたっていないのですよ。テサロニケのパウロを通してイエスを信じるようになった人々は、迫害から逃れてきたパウロを温かく迎えただけでなく、パウロ一行を逃がしたことで逮捕され拷問を受けた者も出たのです。それでも、パウロの語るみ言葉によって偶像から離れ、生ける神に立ち返り、キリストの再臨を信じ待ち望むようになったことを捨てなかったばかりか、彼らが聞いて信じたことを周りに宣べ伝えたのです。パウロの伝道活動はいつも順風満帆だったわけではありません。どこで伝道するときも大変な困難に遭遇し続けてきたわけです。そんな経験をしてきたパウロに「神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられているので、何も付け加えて言う必要はないほどです。」と言わせているのですから・・・。パウロはテサロニケの人々にゴマをすっているのではありません。彼はここを出てからさらにペレア、アテネ、コリントへと向かうわけですが、その行く先々で困難に遭遇する度に、彼は何度もこのテサロニケの信徒たちと彼らの信仰を思い起こして勇気づけられ再び立ち上がっていったと思われるのです。

時々、「信仰というのは個人の問題で、私にとってはかけがえのない者だけれども、他人にとっても良いものだとは限らない。」というふうにおっしゃる方に出会います。それは「イエスを伝えなければなんて大げさに考えたくない。私のこのささやかな信仰生活をそっとしておいてほしい。」というようにしか聞こえないのです。この期間を皆さんはどのように過ごされましたか。手元にある文書を手掛かりに、周りの方々のことを祈りに覚えて過ごしてこられたのではありませんか。出なかったら、私たちの今日の礼拝はただのサロン活動にすぎません。テサロニケの人々はパウロを温かく迎え、パウロを密かに逃がしたために、受けなくてもよい苦難を受けました。しかし、それが彼らの信仰を萎えさせたかというと逆だったのです。パウロの姿にイエスを見、そして自分たちの受けている苦難のただ中にも同じイエスが共におられることを見出していったのです。

偶像とは何でしょう。それは、私たちに幸せになる近道を教えるものということができるかもしれません。それは一時偶像を信ずるものに喜びと充実感を与えるかもしれません。しかし、それと引き換えに自分の中の大切なものを相手に引き渡すのです。それは決して他の誰かに委ねてよいようなものではありません。つい先ごろ有名なアイドルの一人の引退の知らせが大きく取り上げられました。でもそこに本人の声はなく、様々なコメンテーターがかしましくその理由を述べておりましたが、本人がアイドル(訳すと偶像)として生きて来て受け続けてきた痛み―外からの批判によるものではなくても―は恐らく私たちの想像を超えていると推察されます。

私たちはこの二か月何を見たのでしょう。人間というものの弱さ、小ささでしようか。目に見えないほどに小さな生物に、巨大な国がなすすべもなく立ち尽くし、右往左往し、ウィルスよりもっと質が悪く、このウィルスが来るはるか昔から人間の中に巣くっていた人間を幸せにすることのないものの存在を目にすることとなりました。私たちはそんなものに自分の人生を委ねることはできません。

パウロは言いました、「神に愛されている兄弟たち」(4節)と。さらに「あなた方が神から選ばれた」と。私たちは「生けるまことの神(9節)に選ばれ、愛されている」存在なのです。その神に向かう時、私たちは何が偶像であり、私たちが真に戦わねばならぬものは何であるのかを知らされるのです。パウロに倣い(2節)感謝して祈りましよう。